映画刀剣乱舞みてきたよ!(グラブル団長並感)
みなさま水曜日ですね。
水曜日といえば・・そう、レディースデー!!
みてきましたよ、映画刀剣乱舞。
純粋な審神者のみなさまはもうとっくに鑑賞済で、2回目3回目の鑑賞…て方も多いのではと思うのですが、私は本日(2/6wed)ようやくみにいってきました。
なぜならば。
この作品の公開日は2019年1/18なのですが…1/18…1/18といえば……闇有利古戦場予選2日目じゃないか!!そしてそこからインターバルを挟み本戦が始まる!!そんなときにぬくぬくと映画なんてみにいってられるか!!そして古戦場が終わるとどうなる?知らんのか、団員募集が始まる――
団員募集が落ち着き私自身の団活(今回、団を存続させながら別の団に行ってます)も終わったいま、いまこそがようやく心を落ち着かせて刀剣男士たちの世界に思いを馳せることができ――る予定だったんですがまあ現実はそこまで甘くもなかったんですが、要はグラブルで団長やってる者がレディースデーを利用してみにいくタイミングとしてはわりと一般的(私が一般的といえば一般的、いいね?)なのが今日だったというわけです。
そして結論からいうと
団長業をしている者としてはなかなかに考えさせられる映画だった
ので、三日月宗近の顔だけでも知ってるレベルの団長は・・だいたいのプレイ歴一年半以上のプレイヤーは顔くらいなら知ってるはず・・興味が1ミリでもあるなら映画館に足をはこんでみてはいかがでしょうか! てかんじです。
以下文章めちゃくちゃですが感想を覚えてるうちに書き付けておきたいと思います。感想なので、ネタバレを意識せずに書いていきます。
簡単にしておきたい私自身の自己紹介としては、グラブルID1800万台という審神者(ゲーム刀剣乱舞においてはプレイヤーの立ち位置、またその呼称。さにわ、と読む)にありがちなIDながら、始めた際は刀剣乱舞コラボの存在を知らず1000万円もらえるキャンペーンにつられてグラブルを始め、んでなんやかんやあって総合順位制実装後は古戦場にて3連続総合500位以内に入っている・・ゲーム内の区分においてグラブル最前線の団で団長やってる者です。
さて最近の団をつくる際でもトレンドになってきたと思われる「とりあえず500位めざす」団ですが。
500位団に在籍している(私も含めちゃいますが)15000人の方…三連続皆勤となるともっと少なくなるんじゃないかなとも…は「いうほど500位といってもそんなにめちゃめちゃやばいとこではない」て感じてるんじゃないかな〜て思いますがひとつだけ理解してほしいことがあるとすれば
団長は大なり小なり大変です。
すべての団員が古戦場、ひいては自分自身のグラブルのプレイのことだけしか考えてないとまでは言いませんが、おそらく平均をとったとして団の大局のことを考えてプレイしているプレイヤーは団長とそれ以外だと団長にそういったプレイヤーがいる割合はぐっと高くなると思います。
団長が考えている(であろう)こと…
すくなくとも私が日々考えていること…
それは「団の維持(長く続かせるでなく崩壊させずにきれいに畳む)」「どういった団、団長のありかたがより望ましいのか」
といったこと…
作中では、開幕早々本能寺でかっこよく戦う刀剣男士たちの姿が。
そう、彼らこそがAクラス団団員の姿――見ればわかる、目つきが違う。
原作ゲームのシステム上6人パーティ(グラブルもだね!)を束ねる“近侍”と呼ばれる存在として立つのが原作ゲームの顔でもあり映画でも主人公的に描かれた三日月宗近。
三日月もまた審神者に仕える存在で、【三日月+審神者】の立ち位置や関係性に描かれているものがかなり団長を通して感じたり、悩んだりしていることとリンクしていたのです。
まずうちの団にズズッとリンクしてきたのが、
三日月が他の刀剣男士たちに「審神者の代替わり」をひた隠しにしてきた部分。
2205年、世はわけわからん時代になって審神者がかわるときが結界の弱まるとき――として時間遡行軍という敵が歴史を守るのが使命の彼らの暮らす本拠地に攻めてくるのですが。
そう、本当にそうなんだよ。
団のパワーが弱まるとき――それは、団長がかわるときや、あるいは団の大幅な方針転換があるとき。
ここを団員に一気に「団かえま〜す」と言うのはおそらく悪手。ひた隠しにせねばならない…それが、たとえ信頼している団員にであっても。団のパワーが弱まる予兆を、みだりに振りまいてはいけない。
まあオープンな団だと出しちゃうのかもしれないけど、うちの団(私)は方針転換も団長の変更(実質的な変更ではないのですが、それでも私が艇を降りることには降りたので)も(両方行ったのですが)じわじわと詰めてって、「いける!」て道筋ができてからそのパワーが弱まるときを乗り越えました。過去形にしたいんですけどじつはいまもまだ乗り越えてる途中です。なので余計に感情移入してしまった。
三日月は、作中で三日月がいないときにへし切長谷部がぼやいていたように「あいつなに考えてんだ」みたいに思われたとしても口をつぐむべきところはつぐんでて、ほんとは誰かに言いたいだろうに抱え込んでて(鶯丸が気づいてくれましたが)……まあ実際自分も団員からはなに考えてんのかわかんない、100%信用できないみたいに思われてる部分あるんだろうな〜・・とか思いつつ、それが団のパワーを維持するためであれば…みたいなとこはね。ありますね。
――刀剣乱舞とはなんぞや。
まあ、刀剣乱舞とは・・
刀がイケメンになったら、素敵やん? というゲームである。
しかしイケメンになったら素敵やんだけではゲームとして成立しないので、彼らにはとってつけたように(個人の主観です)「歴史を守る」という使命が課せられている。
「歴史」――それは団。
作中で織田信長は三日月に問います。
「正しい歴史とはなにか?」
「自分が死ななかったこの歴史も、自分にとっては正しい歴史だ」
記憶力がトリ頭なのですでに劇場から出て2時間、記憶も薄れてきましたが、三日月はだいたい「いろいろな歴史があるなかのひとつの歴史を、正しい歴史と後の世が定めている」といったようなことを返します。
そう、正しい歴史――正しい団、望ましい団は団の数だけある。
けれど、なにが正しいのかを自分のなかで持っていなければ、時間遡行軍に飲み込まれてしまうーーすなわち団の崩壊である。
団を畳むことと崩壊することは結果は同じでも違う。人が営みをつづける限りつづいてゆく歴史とちがい、ゲームや団には終わりがあるわけですが、それでもわいてくる時間遡行軍と戦い、たまに脇道にそれても本流を維持しようとする努力は、団の運営に似ている。
どの歴史にもそこに人はいる。
もしかしたら、時間遡行軍にだって心があるのかもしれない。
けれども、自分が信じた、いちどそこを正しいとすると決めたものから離れるごとに、歴史の歪みはもどせなくなってゆく。
作中でも重んじられているのは「正しい歴史を作る」ではなく「自分たちが正しいとする歴史を“守る”」であり、三日月が信長と対峙したときにもらしたひとつの答えとして「歴史を守ることは、人を守ること」というものが。
そう、すなわち団を守るということは、団員を守ること。
この守るひとつとっても、信長が骨喰藤四郎を人質として扱っても眉ひとつ動かさなかったあたりからして(結局は斬らなかったけどあそこで斬ってもそれはそれでって覚悟はあるように見えた)、単純にひとつも取りこぼさない=守るじゃなくて、それで骨喰のこと軽く見てるのかっていうと絶対そんなわけなくて。
歴史を守る、その過程で踏みつぶされた花に心痛めていた三日月。
信長だって血の通った人間で、彼を死へ導く役割を持っていた三日月だったが信長のことは立派な方だという感情も持っており。刀としても彼のことを見てきた。
できすぎた映画のなかの、完璧に近いイケメンですら(まぁテーマだからってのもあるが)すべてを守ることはできない。一般人のただのオタクにのしかかる(自分自身含め)30人の重圧は重くないときもあるが常に軽くはない。
そのなかで時には守れないものも出てくるが、定めた団の方針を(話し合って変更したとかならさておき)貫きとおすためには涼しい顔して心で泣かねばならぬ局面もある・・あるのだ・・
あそこでもし三日月が骨喰を守るために、あるいは信長への情から「じゃあ信長・・生かしちゃおうか!」とかするとそれは実質セット入団の片方がノルマ未達で予めそういう取り決めでもないのにもう片方がめっちゃ走るから見逃すとか、仲良い団員だから言動があれだけど解雇しないとか…みたいなことになり、
そういうとこから団が崩壊してゆくのです。
すると100%崩壊するとはもちろん言いませんが、「決して特別扱いしない、常に公平に。泣くときは自分が泣く」は団長業をするにあたって意識している部分で、これからもこの考えの下にはげんでゆこうと(そろそろ団運営には飽きてるのですが、続けるのであれば)改めて思いました。
もしこれからAクラス団で団長をやっていきたいと思う人がいて(あるいはすでにやっている人で)、ある程度の結果(速度はよくわかんないので総合順位ですね)を出したいという人がこれをいま読んでいたとして、
せんえつながら私がなにかアドバイスできることがあるとするならば。
「決して特別扱いしない、常に公平に。泣くときは自分が泣く」
(大事なことなので2度言う)
なにがあってもこれを曲げないこと…それこそが時間遡行軍に隙を突かれない、あるいは出現されたとしても対処できる団になるために必要な第一歩だということをお伝えしたいです。
また団順位や団の強さを気にするあまり速度があったり古戦場走る団員を偏重することは、短期的にはそれでいいかもしれないですが、もっと長期的、大局的にものごとを考えた場合よくないと思っています。総合順位や勝ち勲章、指輪の数はたしかにあればあったほうがよいものです。でもそれ以上に大事なのって、遊んでて楽しい環境で遊ぶてことではないでしょうか。
もちろん、団をたてたときに「うおおー!バリバリ3万位!時速2500万!」てならその歴史を守るべきだと思います。それでもだいたいそんな団でもどこかには「リアル優先みんなでグラブルを楽しむ」て掲げてたりするのではないでしょうか。順位勲章指輪といった誘惑に惑わされずに、あの日自分の願った思いを曲げないことは、きっと大事なことだと思っています。
そしてこの三日月、終盤自分一人刀折れる気で敵と対峙します。
一旦は突き放したみんなが再度戻ってきたとき、誰か(うお〜〜誰だったか忘れた〜〜)が三日月にこんなことを言いました。
「三日月だって(近侍っていうすこし特別な存在である以前に)仲間だろ(あんまり抱え込みすぎないように)」
みたいなことを・・
そのとき私の頭によぎったのがとある日のとある団員のこの一言でした。
私は団のなかでは血の気が多いほう、(前々回前回ともに500位どころか総合順位2桁だったのですが、それでも基本的には3500位団〜あるいはそれ以下希望の方に絞って声かけてるような団です/500位団希望の方は雰囲気がよほど合いそうであれば…なので必然的に草食系団員が多い)また勝てそうなマッチングのときは朝7時にがんばって起きるタイプなのですが。
団としては「言動に気をつかって日々すごしてくれるなら、古戦場は後回しでいい」という団なので。ざっくり言うと団の雰囲気の維持のために、私の血の気を封印している状態です。団員が「勝ちたい!」て言うのと私が「勝ちたい!」て言うことの重さの違いみたいなのはこれまで四度の古戦場を通じても感じているので(四度目は後述→なのですが肉集めのときはやっぱ自分が言ったら動いたな感もあり)。とくに今回さらにその方針を強めたため「どんだけ勝ちたかったり勝てそうだったりあるいは始まる前から負けてそうでも本戦中団長としては何も言わんぞ」の気概でのぞんでて。その反省会みたいな場でかけられた言葉がこれです。
意見を出してね!て場の意見のひとつなので一言一言に返信はせず、この発言もそれらと共にするっと流したのですが・・嬉しかったですね。
いまでもやっぱり思ってること、考えてることのすべては団員には言えないなぁて思うし、思ってることのほぼすべてを伝えてなお立っていられる団員の見極めはやはり間違ってなかったなと思ってるのですが。
きっとこのひととおりの戦いを経ての三日月はこれまでよりほかの刀剣男士たちに心開いてる部分あると思うので(表情もやわらかくなってて役者さんさすが〜感がとても!)。出せるところでは我を出す(まあふだんも自由奔放にやってはいるのですが、それでも素でやってるときはあるものの、そういう雰囲気を醸し出そうとしてやってるときが多分にあるのは事実なので。三日月が好々爺を演じていたように)のも、いまの私に必要なことなのかな・・って、すこし思いました。
三日月はみんなのことを信頼し、指示を出しながらも、やっぱり本丸の内々のことは自分一人で背負い込む、維持する覚悟でいたと思うのですが、一人だけではあのように限界があるんですね…これからもたしかに三日月はきっとあの本丸のなかでは中心人物なのかもしれないけど。みんなに言えない秘密を抱えるときがまた来るかもしれない。けど三日月一人では(本編で描かれてたのはまず純粋に戦力的に)維持できないんだよ、みんながいてからこそなんだよ、ってこと・・でしたね・・
あとたしか山姥切国広あたりが「(三日月はじじいなんだから、みんなに自分のこといままでよりわかってもらうための)長話得意だろう?」て言ってたと思うのですが、この点、
さりとて意味もない長話においてはわたくし、このように自信があります。
*
書いてるうちに忘れてきたのと、わりと書きたいことかけたかなと思うのでこのへんで。
そのほかの感想としては
全体的に顔がよい、個人的な好みとしては薬研の人最高に顔がよい(あっそういえば柄まで通ったぞきけなかったような・・聞き漏らしではないよね・・?ききたいセリフだと思うんですよねあれ・・)、うお〜〜薬研の人の顔とふとももを同時に認識したい〜〜、役者さんたちが細すぎず顔のラインがふっくらしてるのに顔がよいのがわけもわからず奇跡〜〜、全裸温泉入浴シーンあるのにおどろき〜〜(誰とは言わない) みたいな部分ですかね
光古戦場後団がつづくようでしたら団員募集するので、薬研の人最高に顔がよい〜〜を共有できるそこのあなたの入団を私は待っております。よろしくおねがいいたします。最高に顔がよいですね。
おわり